竹村義宏の略歴 業経歴25年40を超えるFCを立ち上げてきました

フランチャイズ・プロデューサー。
1966年茨城県取手市出身。清真学園高校から早稲田大学卒業後、平成元年株式会社ナガセ(東進ハイスクール)入社。東進衛星予備校のFC展開に携わる。
平成9年にFC総合支援企業であるベンチャー・リンクに転籍。同社にて「車買取専門店ガリバー」を皮切りに「炭火焼肉酒家牛角」「TULLY'S COFFEE」「ITTO個別指導学院」他、有名FCの加盟開発を経験。平成19年同社退社後、脱サラ個人起業向けFCのトータルサービス社に入社、パートナーサポート部マネージャーとして全国1000FCのサポート業務を経験。

竹村義宏

平成21年フリーランスとして独立。「個別指導学院ヒーローズ」など複数のFC開発のプロジェクトに参画。
現在は業界を革新する可能性のあるビジネスの発掘からFC化を行い、その全国FC展開を支援する、FCプロデュース業を中心に活躍中。『エコランドリー マンマチャオ』では副業型FCとしてコインランドリーブームをつくり、『日本初!授業をしない塾 武田塾』では営業マンをおかずFC募集開始から2年半で全国100校舎という成功例をつくりだす。


成長性の高いFC本部をつくり、そこに加盟者を募り成功の輪を拡げていく。本部の成功と加盟者の成功をつなげていく。それが私の仕事です。



これまでの実績 法人向け・個人向け飲食から教育まで

外食関連牛角・高田屋・ふらんす亭・Tully's Coffee・まいどおおきに食堂 他
教育関連東進衛星予備校・ITTO個別指導学院・個別指導学院Hero's・武田塾 他
その他サービス車買取専門店ガリバー・トータルリペア・エコランドリーマンマチャオ 他


かなり長いプロフィール

通常のプロフィールは上記のとおりですが、以下はフリーとして独立した当時(2010年)に書いた長めのプロフィールです。サラリーマンで勤務した3社での仕事記的に自己紹介プロフィールを書いています。
以下、かなり長いですがこれを読んでいただければ、竹村がこれまで何を考えフランチャイズという業界で仕事をしてきたか?がわかっていただけると思います。

「仕事」としてフランチャイズ・ビジネスに出会うのは株式会社ナガセでの「東進衛星予備校」ですが、実は竹村は小学生の時に「フランチャイズ」という言葉を知りました。それは実家である竹村酒店にセブンイレブンの開発担当者がやって来たからです。

今から40年くらい前、竹村が小学校2年生の時です。当時セブンイレブンは「戦略」として「酒屋」から攻略していたのです。酒屋以外の店がセブンイレブンに加盟しても「お酒」が扱えなかったので。まだまだ当時は「酒類販売の免許」を新規にとるのは難しかったのです。ですから、商店街の中で真っ先に酒屋から営業をかけたわけです。
ただ、当時はまだまだ酒屋は許認可に守られて「殿様商売」をしており、また、竹村の父は進取の精神はゼロの“新し物嫌い”の性格の持ち主でしたので、「今の店をコンビニに」等という提案なんて話も聞きません。担当の営業マンの方は、何度か足を運んで諦めました。ただ、最後に来たときに、店の奥のほうで遊んでいる私の姿を見つけて発した、「ご主人の時代はともかく、ご子息ころには商売もガラリと変わりますので、再考を・・・」という言葉は小学生の竹村の耳に残りました。

その後、実は半年もたたぬうちに、竹村酒店の斜め前の八百屋がセブンイレブンとしてオープンしました。これには少しビックリしました。なにしろこの八百屋、子どもたちも噂するような、キタナイ店だったからです。野菜以外にも乾物など色々売ってましたが、どれもホコリだらけ。「これください」と指差すと、ホコリだらけの商品をゾウキンのような布で拭いて渡してくれる、というような店でした。それがピッカピカのセブンイレブンになったんですから、オドロキです。
ただ、小学生の竹村も思います。「また1ヶ月もしたら元のキタナイ店に戻っていくのだろう」と。何しろ、やってる夫婦は同じ人たちなわけですから・・・。
ところが、そうはなりませんでした。お店はピカピカのままずっと保たれました。聞くところによると、セブンイレブンの「本部」から人が来て、元八百屋夫婦の尻をたたきながら、指導している、とのことでした。これは小学生ながら「人は、店は変われば変わるものなのだ」と強烈にインプットされました。

これが、竹村のフランチャイズとの出会いであり、「原体験」です。

新卒で入社した株式会社ナガセは、世間では「東進ハイスクール」という予備校の運営企業、というほうがご存知の方が多いと思います。竹村が入社したのはちょうど平成元年の4月、そこから3年半は人事部で採用の業務を担当し、その後、会社の新規事業であった「東進衛星予備校のフランチャイズ推進」のプロジェクトに加わりました。

「東進衛星予備校」というのは、東京で行われている「東進ハイスクール」の授業を、衛星放送のシステムを使って全国の学習塾に配信していこう、というビジネス・モデルでした。当時地方の大半の学習塾は高校受験まで=中3までを対象としていました。そこへ、東京の予備校の授業の画像で提供して「高校部」を創りましょう、という提案でした。
塾としても、中3まで教えた生徒にその後も通ってもらいたい、というニーズはありました。ただ、それ以上に「画像の授業」への抵抗は大変なものでした。普段は自分自身で教えておられる先生方ですから、スンナリ「画像の授業」を認めてくれる先生は多くありませんでした。多くは「内容は確かにいいけど、これじゃ、授業としては無理」というような評価でした。
ですから、FCに加盟してくれる塾を契約していく営業も当初はなかなか苦労しました。ロイヤリティが授業料の45%という設定もハードルになりました。

ただ、それでも、2年で200校、3年で500校と着実に加盟校が増えたのは、「理念」に共鳴してくれる先生方が多かったからです。その「理念」とは「教育の機会均等」というものです。これをわかりやすく言い換えたのが「いつでも・どこでも・誰にでも、最新にして最良の教育を!」というキャッチコピーでした。
この「理念」に賛同してくれる塾を探していく、ということこそが営業活動でした。この「理念」についてしっかり話ができれば、最後には、「たとえ儲からなくても、生徒のためにこの事業をやるのがウチの塾の使命だね!」という風に契約してくれました。

この時に、営業とは「価値観が合い、理念に共鳴してくれる相手と“夢”を共有すること」ということを学びました。

そのような全国の学習塾のお力もあり、順調に校舎数を増やした「東進衛星予備校」ですが、次の問題は「生徒が集まるか」です。25年前は生徒にも親にも、同じように「画像の授業に対する不信感」がありました。当時は珍しかった50インチの大画面で東京と全く同じ授業を受けられる!というのがウリ文句でしたが、それだけでは、そう簡単に生徒は集まりませんでした。加盟校を増やす苦労より、加盟校の生徒を増やす苦労のほうが大きかったと思います。

竹村も、加盟開発を約2年経験した後、新設された「衛星支援部」に異動し、退職するまでの約3年、FC本部のスーパーバイズの企画、統括の業務を担当しました。

全国に増える加盟校、だがなかなか増えない生徒・・・この状況を打破するきっかけとなったのは、ある「システム」の登場でした。それは「SVL」という「個別受講システム」です。当初、東京と同じ授業が「大画面・大迫力」で見れる!というのがウリだったわけですが、実は生徒の「ニーズ」は別のところにあったのです。授業を受ける高校生のニーズは「大画面で大迫力でなくていいから、自分のペースで受講したい」ということだったのです。自分ひとりの受講なら重要なところは何度も繰り返し見れる、そして何より「時間割」がないので、自分の都合で勉強できる、こちらが現役生のニーズだったのです。

「SVL」という個別受講システム、設備としてはビデオデッキ一体型の14型テレビです。「テレビデオ」なんて呼ばれていたものです。当時100万円近くした「50インチテレビ」より「テレビデオ」のほうを生徒が選ぶ・・・これには当時驚き、様々考えました。それまでの世の中に無い「新しいこと」に挑戦する=「ニーズ」をつかむのは、難しい、ということだと実感しました。

あと、重要なことを付け加えると、このテレビデオによる個別受講システムは、ある加盟校のアイデアから生まれたものでした。それも正確に記すと、「こうすれば生徒が喜ぶ!」と考えられて出てきたものではなく、真相は、大画面の授業を欠席した生徒用に「仕方なく」用意したテレビデオが始まりでした。
その「欠席者用テレビデオ」がやってみると実は生徒に評判がいい、何人かの生徒は大画面よりテレビデオの授業を受けてたい、と申し出る・・・そんな経緯から産まれたのです。

この個別受講システムを全加盟校に設置し、台数を増やしえいく中で、「東進衛星予備校」は生徒のニーズをつかみ、生徒数を伸ばしていきます。
そのアイデアは地方の一加盟校の、苦肉の発想から生まれた・・・フランチャイズ・ビジネスの醍醐味を実感しました。

さて、竹村は平成9年、株式会社ベンチャー・リンク(以下VL)へ転職します。理由はいくつかありますが、“もっと幅広く”フランチャイズの仕事がしたくなった、ことが一番です。実はその4年ほど前からVLの創業者である小林忠嗣氏の事を知り、個人的にセミナー等に参加していました。そのセミナーの中で小林氏が「サンマルクを成功させたVLは今後、“総合的FC支援ビジネス”を柱にする。次は中古車買取のガリバーだ!」という話を聞き、それが耳に残り離れなくなったことがキッカケです。ナガセでは一仕事終えた感もあり、自分自身としては、あまり迷うことなく転職したつもりです。
「ガリバーの事業をやりたい」といって面接を受けて、そのまま「ガリバーFC開発」の部署へ配属。転職で給料は2/3になりましたが、ヤル気に満ちていたと思います。
VLに転職した最初のうちは、その仕事の「やり方」に驚きました。コンサルティング会社ですから、とにかく「知識」をしっかり詰め込む。詰め込むための「仕組み」が会社の中にありました。そんな「仕組み」のおかげで、竹村も入社して2週間程度で、当時ガリバーの加盟開発のターゲットだったガソリンスタンド業界について“コンサルタント的”な話ができるようになるわけです。相手の本業にもしっかり相談にのれるようなポジションを取った上で、新規事業としてのFCの提案をしていく、というのがVL型のFC開発営業でした。「理念」で共鳴した同士を募っていく「東進」型、数字とロジックで「戦略としてのFC」を売っていく「VL」型。実は、根底では重なる部分が多いのですが、「アプローチの違い」はが勉強になりました。

さて、このガリバーの開発は様々な壁はありましたが、それを乗り越え、結果的には「大成功」します。ここからVLのFC支援ビジネスは一気に加速します。焼肉の「牛角」居酒屋の「高田屋」等、加盟開発が一気に進むFCが一気にリリースされました。加盟開発の成功だけでなく、先行したサンマルク、ガリバーに続き、「牛角」のレインズ、「高田屋」のタスコ等、支援した本部が続々「上場」に成功します。「ビジネスの種を見つけ、それを自ら支援してFC本部として成功させ上場させる」というVLのビジネスモデルは、世間から大注目されました。VLグループとしての業績も急成長し、東証一部上場します。

竹村はこの「VL急成長」期は営業部隊の統括マネージャーとして仕事をしていました。最大25名くらいの部下がいたと思います。付加価値(粗利)で23億という、今考えればとてつもない営業目標を追っかけた年もあります。正直、この時期は「拡大こそが善」ということしか考えていなかったと思います。後から思えば、「無理を承知での無理、以上の無理」な場面が何度もあった、と思います。が、「あそこであちらの道を選ぶべきだった」というような「分かれ道」を当時全く意識できませんでした。

給料も、会社の「業績」と連動する「業績給」部分が大きかったのでどんどん上がり続け、それが「当たり前」とも思っていました。正直初めて1000万円という年収をいただいた時にの嬉しさは今でも覚えていますが、そこからはあまり感慨もありませんでした。(そしてすぐ、落ちました・・・)FCビジネスで成功した社長たちと豪華客船「飛鳥」で21世紀の初日の出を見る、というゴージャスな船旅などしてました。正月のハワイから帰る飛行機の中は芸能人たちと一緒。バブルな感じでした。

で、バブルは弾けるわけです。

VLの業績の急降下は、そのまま「FCバブルの崩壊」「VLバブルの崩壊」と評されました。「VLのつまづき」なんてやさしく表現される場合もありましたが、そんなもんではありません。小林会長(当時)自身が「山の頂点からもんどりうって高転び」と表現されてました。
こう書いても何のことかわからない、と言う方がいるかもしれません。簡単に書いておくと、それまで一気に売ってきたFCの加盟店開発(営業)に急ブレーキがかかりました。理由はいくつかあります。FCの加盟権利を買ったが、出店しない(できない)企業が出てしまったこと、そして出店したFC店の業績が予想を下回るケースが出てきたこと。そして失敗する店どころか、そもそも「業態」自体が失敗だったというようなFCも僅かながらありました。それらが総合され、当然ながら「失敗」の部分がクローズアップされ、それまで「唯一無二(他のどんな企業にもまねできない)」と誇った、VLのビジネスモデルは崩壊しました。
当時、「成功FCを量産していく」という意味もこめて「FCファクトリー」という言葉を使っていましたが、そこから出てきた製品のからクレームをいただいた、ということです。
竹村のVL在籍10年のうち後半5年は、これらのクレーム対応から始まり、地に落ちた信用の中で再起を賭けての活動でした。もちろん、そんな状況でも応援してくれる企業様というのもありました。ただ、業績の急降下により財務的に厳しくなった企業が、新事業の構築に挑む、というのは本当に険しい道です。(今現在も残った仲間がこの厳しいチャレンジを続けているわけですが。)
(追記)ベンチャー・リンク社は2010年に株式会社C&Iホールディングと社名変更し、C&I社は2012年3月12日に民事再生法を申請しまし事実上倒産となりました。
メルマガ119号 「C&Iホールディングスの倒産について」

さて、「なぜVLは失敗したか」これについて自分自身、結論付けておきたいと思います。もちろんいくつもの要素がありますが。
最大の要素が「コンサルタントの弱さ」だと思います。このことは自分自身VLを辞め、もう一度外から自分自身の過去を眺め、て見えてきた部分です。
「コンサルタントの弱さ」とは何か?具体的には、人に教えたり人を叱ったりは得意だが、本当は自分でやったことはない、という弱さです。この部分の“勘違い”がVL転落のいちばんの原因であったと思います。具体的に書きます。サンマルクやガリバーやレインズ、タスコ・・・他の企業の尻をたたき、上場させている時代は良かった、わけです。正直「なんて本部だ!」なんて思うようなストレスも多いにあったわけですが、ビジネス・モデルとしては回っていました。ところが、上場させた本部が、その後離れていくようになると「VL自体が本部」という事業にシフトしていく傾向が出てきました。ここが間違いであったと思うのです。
「今回の案件はVLが本部だから責任が持てる」「我々がやれば改善のスピードが違う」と言い切って起死回生でリリースした、VL◎印のFC案件の「失敗」は全社のモチベーションを大きく下げたと思います。

と、書くと会社の戦略の間違い、という言い方に聞こえるでしょうか?ただ「コンサルタントの弱さ」というのはまさに自分への反省の言葉でもあります。私自身、当時「牛角」の店長業務がこなせたか?というとNOなわけですから。もちろん「現場に入っていないから見えてくる本質」というのは確かにあります。だから世の中でコンサルタントという商売は成り立つわけです。でも「理屈」と「実践」の関係はしっかり理解した上で、コンサルをしなければならななかった。それが出来てなかった、ということです。

このVLでは本当に多くのことを体験し、学びました。「極端な成功」と「極端な失敗」を両方当事者として体験しました。
「フランチャイズは劇薬」であるというフレーズがあります。急激に効果をあげる強い薬であるがゆえに、その「副作用」も激しいのです。この言葉は「本質」をついていると思います。

ということで、もうこんな薬、フランチャイズに関わる仕事はコリゴリだ、とVLを去っていった者も多くいます。
ただ、竹村はそうは思えませんでした。「FCは劇薬である」からこそ、その「用法と容量」という「正しい処方箋」の情報を流していくことこそ、この業界で仕事をしていく者の「使命」ではないか?と考えていました。

VLを去り、トータルサービス社(以下TS)を選んだ理由は、「個人が加盟対象のフランチャイズ」の仕事の経験をしたかったことです。理由は2つありました。ひとつはそれまでの東進(ナガセ)、VLでのFCの仕事はいずれも「法人」が加盟対象であり、竹村自身の経験として「個人FC」についてのキャリアが無かったこと。そして、今後のFC業界について考えると「個人起業FC」の市場の拡大は確実であったことです。ライフワークとして死ぬまでFCの業界で仕事をしよう、と決めた以上、この段階で「個人FC」の本部で経験を積む、ということが竹村の中では必然でした。

しかしながら、TSに入社していちばん勉強になったのは、「個人FC本部運営のノウハウ」ではありませんでした。それ以上に、創業者である山口恭一社長の「経営哲学」を学ぶことで、それまでの竹村のFCでやってきた仕事、考え方のフレームを大きく組み替えることができた、ということです。ちょっとわかりにくいですね。ひとつの例を挙げると、山口社長の経営のベースは「恕(じょ)」の精神でした。孔子の論語に出てくる「忠恕」の「恕」です。簡単に言えば「常に相手の立場にたち相手の目線で考える」ということです。この発想を頭で理解するではなく、脳みそのシワに刻み込むレベルまでいけば、「ものの見方」がガラリと変わるのです。「恕」の考え方をベースに「フランチャイズの成功」を考えると、それまでの考えがガラリと変わるのです。
もちろん、この本当の「恕」など簡単に身につくものではありません。竹村自身も無意識でできる域にはまだまだです。ただ、「成功するFCをつくる」というテーマで仕事をしていく中で、常に「恕」の精神の高いところを目指していく、ということを忘れないというスタンスは持ち続けることはできるようになりました。

もちろん、TSでは「個人起業」を成功させるための大切なポイントをいくつも学びました。例えば「継続性」の重要さ。リピーターがつくビジネスか、ということなんですが、本当に勉強すると深いのです。ずっと宣伝しなければならないビジネスは「継続性」はない。営業し続けなければならないビジネスも「継続性は疑問。「差別化要因」がキチンと維持できるかが「継続性」のポイント、などなど、こういう重要な「考え方」をひとつひとつ勉強させていただきました。

このTSは、この「継続性」が大切である、ということを自社のカーリペアのFC本部で実践、実証していました。加盟した方の5年間での「継続率」が90%を超えていました。実際に個人で加盟された方が地味でも長く続けられるFCでした。

全2社と比べるとかなり短い在籍ではありましたが、本当に勉強させていただきました。

これまで社員としてお世話になった3社では、同じフランチャイズという業界ながら、かなり異なった文化、環境で仕事をさせていただきました。3社で合計30以上のFC業態を経験してきたということ以上に、文化の異なる企業でを経験できたことで、キャリアの幅が広がった、と思います。

今でも様々な局面で、これは永瀬社長(ナガセ)ならどう考えるだろうか?小林会長(ベンチャー・リンク)ならどうか?山口社長(トータルサービス)ならどうだろうか?ということを考えます。

結局大学創業後、20年以上サラリーマンとして勤務しましたが、様々経験させていただいた3社には本当に感謝しています。